夜明けのハミング

成人発達障害、睡眠障害、愛着障害、複雑性PTSD、低血糖症――らとつきあいながらの半世紀。絵を描いたり歌ったりしながら、ゆるゆる生きる。どこまで健全に近づけるだろう?

「お金」と「毒親」と「感情」と

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ヘンなタイトルで申し訳ありません。

お金のお話です。

よくお金持ちの家に生まれると子孫もお金持ちである、など、考えてみれば、というより考えなくてもそうだろうな、というような話です。

人は、特に生まれたての人間を育てこの世界のイメージを決定づけるのは、その環境です。

お金持ちの家に生まれれば、お金はあって当たり前、その逆もまた。

けれど、日本人にとってお金にクリーンで美しいイメージをもっている人はあまり多くはないかもしれません。

私が生まれた家は貧乏ではありませんでした。

そう確信を持って言えるのは最近になってからの話です。生まれてから長期にわたり、「お金はないのだ」と刷り込まれてきましたので。実際、たいそうケチな家でした。必要以上にケチでした。子供時代、外出先でもよその同レベルのご家庭のように、簡単にアイスクリームなども買ってもらえませんでした。私が望んだお稽古ごとも、「お金がない」の一言で却下され続けてきました。(反面、何故か親が決めたお稽古ごとの費用は出続けていましたが・・・)

私も父も、お小遣いは周囲より遥かに少なかったです。同級生に話すと、「えぇ~~?!」と驚かれていたものです。高校時代に描いた漫画が上位に入り、賞金で自転車と扇風機を買いました。生活感がありすぎて、やはり周囲に驚かれていました。きっとさぞ貧乏な家庭なんだろう、と思われていたでしょう。

それまで、私が描いた漫画用紙は母から破って捨てられたりしていましたので、隠し場所に苦労していましたが、お金になる、と思われてからは無事となりました。(そのわりに、プロの漫画家にもなれませんでしたが。。)

両親も、お金がもとでピリピリしていたものです。

本当にお金がないご家庭がピリピリしている方が、自然で納得できます。

多くはなくても、ごく普通に困らない程度にあったはすですが、常に「お金はないんだから!!」と脅され洗脳され続けてきました。

よく考えてみたら、親の趣味で定期的に映画館やレストランには行っていたし、それなりに文化的なことには支払っていたはずなのですが、そういう出費は生活費の一部なのだ、くらいに洗脳されきっていました。

思えば、一般の賃貸住宅に住んだこともなく、社宅族だったので、居住費は少なくすんでいたはずですが。

何かの言いわけには必ず、「お金」が登場し、実際「お金さま」にはさぞ迷惑な話だったんじゃないか、と思います。常に悪者扱いです。

家のなかは乱雑で、亡き父からは「ブタ小屋」と小声で称されていたものでした。冷蔵庫のなかには、傷んだ食品含め何が何だかわからない状態でギュウギュウになっているのが日常です。

両親の仲や家庭内の空気が健康的に温かく循環していた、とはとても言えないでしょう。

あらゆる困難はお金が原因にされてしまい、私が20歳頃に激しく体調不良になった折には「医療費をむしりとられる」と言われたものです。

(もし私が同世代のめぐみさんのように北朝鮮に拉致されても、決してお金をかけて探し続ける、なんてことはなかったでしょう。)

その後、私がラオスのお子さんに修学支援をしていた時代がありましたが、「中間業者に搾取されてるかもしれないのに、そんなことにお金を払って、あんたバカじゃないの?」とも言われましたが、きちんとお子さんのご家庭に届いておりました。

母は長年習字を習っており、腕が良かったようで上野の美術館だかの展示を師より何度も勧められていたそうですが、お金が出るだけで入るわけではないのでアホらしいと、却下し続けていたようです。

保険が効かない治療院など、決して使いません。

その母がのめりこんでいた投資は詐欺で、元本はゼロになりました。

 

何もかもが、美しくありません。

こういうご家庭は、「お金さま」から嫌われ避けられると思われます。私がお金なら、近寄りたくありません。

悪しきことや、あらゆる全てを牛じる悪徳商人のような「お金」がこの世のトップに君臨している、と洗脳されつづけられます。

また、亡き父は日本では珍しい、突出したお坊ちゃん育ちでありながら、青年時代に貧乏に転落、という当時の日本人の平均的な環境スタイルから大きくはずれていたことも、一般庶民よりも貧困意識が強まったかもしれません。

(私の親の世代だと戦争体験しているので金銭感覚もシャープになったのだろう、と思われがちですが、両親ともに恵まれており、母も戦時中の子供時代に食べるに困ったことなどなく、よその家庭で食べているらしい「芋粥」とは、きっとおいしいから食べているんだろう、と本気で思っていたそうです。)

何が言いたいか、というと、結局「お金」に美しい、せめてニュートラルなイメージがもてなければ、不幸になるのではないか、と。

実はあっても、正しく、幸せに使うことが出来なければ意味がありません。

「お金」と「感情」は、実に見事に結びついています。

親への感情がかなりダークであれば、仮にせっかく富裕層に生まれたとしても、お金も汚いイメージになってしまいかねません。

(本来の富裕層は、お金にクリーンなイメージをお持ちでいらっしゃるはずですが。。)

「自分で稼いだ金の飯はうまい」とも言われますが、自分で作るお金があまりにも苦しすぎれば、健全な使い方に躊躇しすぎて使えない、なんてことにもなりかねません。。(私はかなりこれに近い・・・)

 

「お金」への感情が汚いものになれば入っても来ないし、「お金」を嫌えば貧乏への道が用意されています。

もともと「貧乏」ではなくても、その「貧乏な精神」から本物の「貧乏」へ転落出来るのです。

「貧乏神」に愛される要素満載なので。

 

現代の、特に昨今の日本では、経済格差で表面の年収や職業だけで人を判断しがちです。でも、それは絶対に間違っています。

暮らせるお金と、健全な精神のバランスがあってはじめて人は幸せが維持できる

というのが私の持論です。

最初は生活費かつかつであったとしても、より豊かに子孫繁栄できる可能性がある、と信じます。

私のように、いい歳になってから無駄に身体や精神療法等に多額のお金を落としてしまうことになりませんように。

スピリチュアルや自分探し的なことに大切な大金を遣うくらいなら、もっと現実的な楽しみに遣う方が宜しいかと思います。

金は天下の回り者

縁あって自分のもとに来てくれたお金さまには、幸せな旅をしていただきたい。少しでも「お金」が心地よく天下を回っていただけるように。

いい加減金銭感覚の狂ってしまった自分ですが、少しずつでもそのように意識づけている今日この頃です。

 

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