おいでいただきありがとうございます。
さて、早速ですが上記本のレビュー記事となります。
敬愛する恩師と言っても過言ではないスーザン・フォワードさんの本です。
これを読む前にこちらも読みました。
これもお勧めです。
脅迫、と言うと身代金かのような大仰な響きですが、現代の日常生活のあらゆる場面にありそうな事例満載。上司なりパートナーなり、パワーを持つ誰かの気にいるようにあらなければ、○○しない、等の暗黙の了解や条件を提示される、という類の脅し。
こちらの本の素晴らしいところは、ただ一読させるのではなく、ワークとして途中1週間ある個所で読むのを中断させ、あるアファメーションを読者に課し、その言葉が定着した前提でその後を読み進めること。
これはひじょうに有効です。
サーっと一読して、読んだ気になって知識習得した気になって終わり、とならないように。
この本の内容と、上記の「毒親の棄て方」は、後半のワークとしては核心はほぼ同じ気がします。
先に下の本を読んでおいて良かった、と思いました。
この著者の代表作は何と言っても

- 作者: スーザンフォワード,Susan Forward,白根伊登恵
- 出版社/メーカー: 毎日新聞社
- 発売日: 2006/02/01
- メディア: 単行本
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こちら。
元祖「毒親」という言葉をこの世界に生み出されたパイオニアです。
この本に救われた、という方は数知れないかと。Amazonレビュー数の半端なさも物語っています。それは、ただの読後レビューではなく、うっかり人に言えない苦しみを抱えて生きてきた方々の生の声でもあるでしょう。
過去にこのブログ記事でもとりあげています。
機能不全家族育ちの方々にとって、マストな一冊ではないでしょうか。
近年、日本人著者からひじょうに多くの毒親テーマと称する本が漫画調含め続々出ていますが、読みやすく面白おかしい表現のものもありますが、ぜひパイオニアはくぐっていただきたいです。
長期的ロングセラーになる、という本はそう多くはないはずです。
「毒になる親」に比べ、今回の「毒親の棄て方」はAmazonレビュー数が一気に減っています。
もう「毒になる親」でお腹いっぱい、かもしれません。
素晴らしい内容なのですが、一つ、大きく残念なのが日本語化にあたりこのタイトル。
私は本でも映画でもタイトルの邦訳にかなり敏感なのですが、この本はタイトルで大きく損している類の一つだと思えます。
今回の本は「母と娘」に特化した内容です。(勿論、毒を持つ母ですが)
サブタイトルに小さい文字で「娘のための自信回復マニュアル」とありますが、そこに着目される割合は少ないでしょう。
「毒親の棄て方」という強烈な響きに、日本人であれば「姥捨て山」をイメージしてしまうのは私だけではないはず・・・。
原題は
MOTHERS WHO CAN'T LOVE
A HEALING GUIDE FOR DAUGHTERS
よくよく英語が苦手な人をのぞき、そう難しくない英文でしょう。
「愛することが出来ない母親達 娘たちへの癒しガイド」
が本来のタイトルだったはず。
ほぼ忠実に訳してくれる日本語タイトルであればとっくに手に取っていた、という女性達は多いのではないか、と思われます。
邦題からイメージされてしまうような、毒が強い親は棄ててしまえ、その方がいいんだ、どうやって捨てればいいか教えよう、こんな親いらないよね、
というような過激な内容では決してありません。
どうしても、どうしても、いたしかたなければ縁を切る、も一つの選択肢。でもそれは最後の手段。という感じで。
実際、素晴らしい内容です。
それに、仮に連絡不能として縁を切ったとしても、その親が死んだとしても、内面にずっと毒パワーが巣くいつづけ強く残り続けていたら、連絡不能なだけはあまり大きな成果とは言えないでしょう。
死なれたからといってめでたし、にならないところが、強烈な毒親の毒たるところではないでしょうか?
こんなことは、本文中には書いていませんが。
かなりの毒母らの言動や行動が描写されているので、強いフラッシュバックとなる可能性のある方は読まれるのを控えた方がいいのかもしれません。
後半に示される洗脳からの解放法、万人の特効薬となるかは不明ですが知るだけでも違うかもしれません。「毒になる親」で示された方法と似ていますが、大きく違う点もあり。
また、この本に限らず、よく「専門家の指導のもとに」という注釈フレーズ、自分の体験からは、この専門家のもとが更なる毒を植え付けてしまうことがあるので、たいへん注意が必要です。
この著者の文面で、クライアントとの会話の様子が書かれていたりしますが、向こうの方にとってはあまりにも当たり前すぎるだろうところに、お!と着目してしまいました。
クライアントが彼女を
「でもね、スーザン」
という呼び方をされている。
言葉の文化の違いで当然なのでしょうが、日本で仮に山田よしこさんというカウンセラーなりセラピストがいたとして、クライアントが「でもね、よしこさん」なんて絶対に言わないでしょう。「山田さん」も多分ない。普通「先生」になる。
この距離感の違い!!
どんなに「なんちゃって」なカウンセラーだろうが、日本人クライアントにとっては「先生」。大体弱って真面目な人がクライアントになるはずだし。常に「先生」と呼ばれ続け、斜め上からクライアントの状況判断することが仕事とし続けていれば、たとえメニューとして同じ療法を指示していても、その関係性もあり方も欧米とは似て非なるものになるのではないでしょうか?
また、普通はうっかり口にできないハードなデリケートな話を打ち明ける相手となる専門家、という人は、側にいるだけで安心できるような人であってほしい。
けれど、そういうキャラクターの方は少ない気がします。私の少ない経験での偏った見方かもしれませんが。
言葉はじめ文化がまったく違う国から生まれたもので、農耕民族DNAをもち(例え祖先に農民がいなくても)隣に水がこなければ村全体命とり、という共依存でなりたつ文化の日本とはずいぶん事情も異なるかと思います。
この本に限らず、こういう事例に登場するクライアントさんらの優秀さには感服です。どんなに悲惨な親元に生まれようと、立派に自立され心身健康でいられる、というのは驚異的にさえ見えます。
勿論本人達の強い意思と努力の賜物でしょうが、一つ面白い? 発見として、過去に読んだ、これまたヒットの「発達障害と呼ばないで」。
岡田尊司さんの名著です。
これも図書館で読んだので手元になく詳細書けませんが・・・、アジア人と欧米人の赤ちゃんの神経系だかでなにか決定的違いがあり、アジアの赤ん坊をアメリカのように個室で一人ベッドに寝かせたりしてはのちのち脳トラブルだったか、とにかくとても良くない影響となってしまう、ということが書かれていました。
ヒトとしての神経の成り立ちが、アジア圏と欧米(白人?)とで違う。
そんなところも、もしかしたら関係あるのかもしれません。
(アジア人の方が、より親のぬくもりを必要とするのかもしれません。)
そして、何と言っても、人間だれしも他者の影響なしに成長できるはずはなく、どんなに親が異常でも、成育プロセスのなかで良い大人に出会える可能性がいくらか日本より高いのかもしれません。(それなりの水準家庭で、良い教育が受けられるという前提で)
少なくとも、移民大国、見た目はじめ、人間は違っていて当たり前、という前提はあるかと思われます。
英語圏のなかでも英国はそうでもないそうですが、握手・ハグなど他者と身体的ふれあいも日本と違い当たり前の挨拶感覚となっている文化であれば、人との絆も信じやすくあるかもしれません。日本よりは。
アメリカに行ったこともないので、勝手な憶測でしかありません。
そして当然専門家につくにはお金がかかります。1回2回で終了することはまずなく、ある程度長いつきあいになることを思えばたいへんで、それなりのレベルの暮らしが可能な人でなければ難しいのが現実です。
お金を出したところで失敗する可能性も大きく、本というかたちで海外の一流の方の言葉にふれられるだけでも価値は大きいと思っています。
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