ハミングしながら歩こう

成人発達障害、睡眠障害、愛着障害、複雑性PTSD、低血糖症――「生きづらさ」をゆるくいたわりながら、ゆっくり歩く。どうせなら歌いながら。

成育歴8(思春期)

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これは私の個人的な成育記録です。

いまなら、書けるかもしれない、というところでの、自分の障害や特徴などをふりかえるものです。

成人発達障害愛着障害複雑性PTSDなどにご興味のある方は、ある一人の人間の症例としてなにかのご参考になるかもしれません。時代ごとに項目を分けていきます。

読むことでフラッシュバックが起こる可能性のある方は、読まないでいただくようお願いします。

 

中学・高校時代は、 またお弁当生活へ戻ってしまった。

転校生が来た1日をのぞき、中一の一年間は孤食

その後の高校卒業までのお昼のことは、記憶にない。

自分で作る、という発想もなかったので、これが当たり前と受け入れもくもく食べていた気がする。

 

中1では、体育専門の女性担任に露骨に嫌がられた。本格的男子達からのいじめ標的となる。

とにかく容貌がだらしなく、不潔。これでは仕方ない・・・。

体育の授業では担任から目の敵のようだった。母親が呼び出された。

 

なぜか、皆が持っている持ち物が自分だけない。

体操服や生徒手帳にあるはずの学校印鑑などがない。

クラス内で当然知っているはずの連絡事項が抜け落ちている。

何故なのかさっぱりわからない。

日常の忘れものにも磨きがかかった。

 

本格的な睡眠障害へ突入。

授業中の爆睡も、他の生徒達に知られていた。

塾でも寝ていたため、皆の前で顔を洗いに行かされる、など徹底的にダメダメ。

小学校時代から習っていた英語すら、出来なくなる。成績の悪さに英語の塾講師から驚かれた。

どこか身体異常ではないか?と、神戸で大きな病院へ検査に行ったけれど、異常なし。

ただのサボりとされた。

(その後ずいぶんたって後も、やはりこういう検査では異常は出なかった。数値に現れない。)

 

塾での母親への面談など、湯水のような怒りを浴びっぱなしとなる。

家庭科の課題で被服を作るための布地を、素材を買い間違えてしまい、これもまた異常なほどの怒りを浴びた。そのうちに、金持ちが良い、美人の方が良い、と意味不明な方向にいく。思い出すと、こめかみの奥がクラクラする。 

ちょっとした刺激さえあれば、汚い言葉で、どこまでもどこまでも怒り続けられる。こちらに罪悪感をもたせられるよう、巧みな毒を吐き続けののしり続ける。

どうしたらあんな怒り方ができるのか。

今日に至るまで、母が自分の非を認める、本気で謝る、ということは聞いたことがない。

 

なぜか、バトントワラー部に入り、毎日体操服着用。

基礎体力不足でついていけず、グループからブーイングを受けながらもがんばる。

創作ダンスふうで、踊ることが好きだった。こういう活動は母の好みにあっていた。

 

机のなかに、差出人不明の手紙が入っていたことがあり、女子の誰かが「あなたのことは嫌いだったのだけど、それは良くないと思うようになったので、これからは一緒に遊びたい」という旨が書かれていた。

残念だけど、誰だかわからなかったのでご縁は出来なかった。

 

その頃、なんとか表面だけでもつきあえていた女子数名に、自分のどこがおかしいと思うか? と、まじめに質問したことがあった。

他の誰も知らない世界の用語を使っていたり(同じ中学には入らなかった子、2人だけの遊び用語など。特定人物を尾行するなど、思えば奇妙なオリジナル遊び。)、いくつか指摘され、なるほどと思った。全く自覚できていなかった。出来る範囲での改善を試みた。

 

この年の夏より、あるタカラジェンヌさんにはまる。始発の阪急電車に乗り、長時間並んでチケットを取るくらいへっちゃら。日常あり得ない底力が沸いた。

(その後、その方が退団後の高校時代は、アンダーグラウンドなオタク漫画の世界へ没入。その時期以降、長期的にずっとつきあいのつづいた友人が、近年自死。)

 

2年になると、ちょっとぐれたグループに入った。

髪からのフケがなぜかとても多く、どうも不潔だった。

クラブ活動で、大きな舞台に立ったりもした。合唱の伴奏をしたことも。晴れがましいことは、母には伝えなかった。

2年を終えて、また引っ越しと転校。となりの明石市へ。クラブ活動から離れるのは、悲しかった。

母から手紙が机に置かれていた。転校したら私のことを知る者はいないから、やり直せ、という内容だった。無視して捨てた。

 

3年の1年間だけ、新設学校で初の卒業生の代として過ごした。

おおらかな土地柄で、平和な年だった。広々とため池のまわりは緑で覆われていた。幼稚園時代に次ぐ、かなり平和な集団生活だったと思う。

修学旅行で、極力眠らないように努めた。

当時、すでに悪夢で叫び声をあげる、などの症状が出ていたので、なんとか眠らずがんばろうと努めた。

成績がアンバランスすぎたので、私立高校のみ受験。

暗記ものなど、それなりに勉強しようとしていたが、頭に本当に定着しない。

わからないことの分野へ、手も足も出なかった。なぜこんなに頭に入らないのか不思議だった。やばい、とは思いながらどうにもならない感じ。

レベルの低い女子高校だったため、優秀な成績で入学。

その年から開設された、受験成績上位の者だけのクラスに入った。

この年から、父が東京に単身赴任。

バトンマーチング部(名称不確か)に入部したが、基礎体力不足その他ですぐにやめた。

一緒にクラブをやめ入学時から仲良くしていた同級生に突然嫌われていた、と知る。

その子の他の友人にトイレに誘われ、縁を切る旨通達を受けた。

きっととても不適切な態度だったんだろう。

その後はいっそう、ひたすら授業中寝て過ごした。ものごとへのやる気ゼロ。

同級生の誰かに爆発的に不適切な言動をしてしまい(何だったかは忘れたけれど、自分が悪いのは確か)、自分が描いた絵をそえて謝罪の手紙を出し許していただいた。

担任の薦めで美術部に入ったが、よい画家であるおじいさん先生が癌で入院され(5年前から死の宣告は受けていたらしい)、次の若い男性教師からでは、かたくなに言われたとおりに描きたくなかった。

こいつの言うとおりに描いてやるもんか、と腹のなかでバカにしていた。

頑固すぎて、先輩達にも嫌われた。退部。

1年でそのハイレベルクラスから抜けることに。

2年以降、一般クラスへ。体育系のまだ若手の女性先生。

体育の半分が、ダンスになった! 

お陰で、少なくとも体育はずいぶん楽になった。創作ダンスでほとんどの振りを作ったりもした。

ただ、普通の体育では特に平均台でのバランスが極度にできず、台にあがってはよろけて落ちる、をひたすらひたすらくりかえす、などで注目を浴びた。

基礎体力のなさ、は担任からもなじられた。

少女マンガを描くことにひたり、ひたすらオタクの世界へ。数名で、学校祭で漫画展示を行うなど活動。

その世界で、学校外でもつきあいが出来るようになった。

母との確執は広がり、私が描いたものを破って捨てられたりしたので、隠しながら描いていた。投稿して賞金をもらったら態度が変わった。

 

母のマイルールで、体育の着替えでも私だけ白い下着。色ものは着用不可。

叔母からもらった下着も、引き出しから持ち出されてしまった。

身につけて良いアクセサリー、着て良い服の色、基礎化粧品など、異様にチェックが厳しい。美容命の祖母にやられていた家系のくりかえしだったようだけれど。

(その後、青年期に入っても、美容しきたりは更に厳格となる。母方親族一同より、私一人だけお洒落ではない、と責め続けられる。)

 

睡眠障害はひきつづき深刻となり、全校生徒集会などで着席していても首が据わらない。どんなに注意されても効果なし。

立っていても眠い。

 

3年の修学旅行で、集団緊張のなか、不適切な爆発言動をしたようで(神経過敏になりすぎ乖離を起こしていたのか、ひどい時の記憶はなし)一気にいじめ対象となる。仕方がない。

孤立した旅行となった。

その後、長期的にクラスで口をきくことがない。

日常、よく吐き気をもよおすようになった。

異常に身体が硬くもなり、首・背中などあちこちの関節がバキバキなるように。

海岸に近い学校で、帰りによく砂浜で貝殻を拾ったり、駅からただ水平線を眺めて過ごすことが多かった。

 

卒業と同時に、また一家で引っ越し。父と暮らしを合流。千葉へ。

 

制服時代のことはすべてダンシャリしようと、心のなかからあらゆる記憶を封印して生きることを試みた。色々な物を捨てた。関西言葉も捨てた。

すると、大切なものまで置き忘れてしまった。

 

この中・高時代、なにかと過酷だったけれど、自分の性格上の問題もよりひねくれて大きく膨れ上がってしまった。

 

その後、東京のデザイン専門学校に入り、卒業近く、初めて軽めの摂食障害を発症。

なにか口に入れていないと気がすまなくなった。

病気と自覚してから、それは徐々に薄れていった。まだ過食症というものは、ほとんど知られていなかったと思う。

要領が悪く、アイデアはよいものの課題提出もおぼつかず、何とか卒業できた。

お金がなくて、ホステスバイトらしきものも体験。髪型を変えることが趣味。

今までの自分を知られたくない。必死で、当時の10代らしき世界に近寄ろうともがいていた。明るい若者になりたかった。過去の好みも捨てた。

自分は何者なのか、どうしたいのか、さっぱりわからなかった。 

 

これが、10代までの過去のふりかえりとなります。

20代前半でひどい腰痛・首こりはじめとてつもない体調不良を発症。

その後、性的な問題も発症していきました。

アスペルガー女子や重度のAC女子?の場合、性被害や性の問題を抱えやすいということも言われているようです。もうとっくにおばさんになり、この件からは解放されましたが、いつか書ける範囲で書いてみようと思います)

心身症を発症しつづけ(慢性疲労症候群かと疑っていた)、睡眠障害はつづき、身体のスタミナもなく肉体労働は出来ず。仕事はつづかず、現在、発達障害者として障害者枠でパート、労働記録更新。それまでの最長記録は2年9カ月でしたが、現在5年目となって記録更新中です。

完全回復は無理でしょうが、若い頃より確かに元気になってきています。

それなりに良いこともありました。

どんな過去でも、その土台の上に誰もが生きています。

しんどいことも受け入れて行こう、と思っています。

 

お読みいただきありがとうございます。

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