ハミングしながら歩こう

成人発達障害、睡眠障害、愛着障害、複雑性PTSD、低血糖症――「生きづらさ」をゆるくいたわりながら、ゆっくり歩く。どうせなら歌いながら。

成育歴7(小学校6年)

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これは私の個人的な成育記録です。

いまなら、書けるかもしれない、というところでの、自分の障害や特徴などをふりかえるものです。

成人発達障害愛着障害複雑性PTSDなどにご興味のある方は、ある一人の人間の症例としてなにかのご参考になるかもしれません。時代ごとに項目を分けていきます。

読むことでフラッシュバックが起こる可能性のある方は、読まないでいただくようお願いします。

 

 

毎年担任は変わり、6年になって落ち着いたベテラン女性教諭になり、体育とほか何か1教科、若い女性がサブとしてついていた。

このベテラン担任は、やっとほっとできる先生だった。

毎日5分だけ作文を書く、という日課があり、私の書くものはいつも文集に選ばれていた。

この時間が長くつづいてほしかった。

 

体育の授業で、男子生徒の背中におぶわれ競争というときに頭から転落し、用心のためと3日ほど入院した。

ベッドに母に来てもらい、もう大きいのに添い寝していた。

退院後、クラスのある男子から「お前なんか死ねばよかった」と言われ、ほとんどつきあいのない男子生徒にそんなにも嫌われていたことを改めて知った。

 

書店で、2度ほど万引きした。

なぜそんなことをしたのか。のちのち、とても自責の念が強まった。

 

1学期の終わりを待たず引っ越しすることに。

今度は遠方の関西、神戸というところ。言葉もまったく違うらしい。

親しんだ地域、この学校で修学旅行も卒業もできないのはさすがに残念だった。

風景を少しでも目に焼けつけようと励んだ。

そして、出会いが人より多いんだ、と自分に言い聞かせた。

転校当日、母がたいへんだろうから、と、近所のおばさんがお弁当を作ってくれた。

ちゃんと人前で広げられるお弁当! 

量も見た目も、ちゃんと良いお弁当! 

あの嬉しさは忘れられない。

小鳥たちと一緒に、はじめての関西へ。

 

新しい土地は、六甲山の山並みや透き通った川、洋館のような建築の学校、何もかも新鮮だ。

学校ではうわばきも不要で、靴のまま教室に入るという西洋スタイル。

なんと、給食がある! 皆と同じものを食べられた!! それも、学年末につれ豪華なメニュー。デザートまである!

もうみじめなお弁当から解放された。対等に豪華給食が与えられるのだから、早くなじもう。言葉も早く覚えよう。

だけど、勉強はとんでもなくレベルが高く、中学のような試験まであり、全くついてはいけなかった。(全国からわざわざ引っ越してくるエリート家族がいた地域。)

さらに、休み時間の遊びも、驚いたことにワンパターンのボール遊びのみ。

ひょろひょろ痩せて、一見足が速そうに見えるのに、全く出来ない、遊びに使えない。

とすぐに知られ、その遊びのグループメンバーわけに、もっと優秀な運動神経の良い子がいたのに、先に私をとってしまい露骨に失敗した・・・という表情をされたことがある。

演劇部に入り、無理に私の役を作ってもらい、自虐お笑い系の路線を無意識に作っていた。よしもとのセンスにも学び?、笑ってもらえる自分を試みていた。

 

例によって?、ある男子生徒からは、目の敵のように忌み嫌われていた。

その子から、長年使用していたランドセルは壊されてしまった。

自分が存在しているだけでひどく嫌う人がいる――残念だけど、そういうものなんだ、と悟っていった。

 

担任は、微妙に残念な中年女性。

提出物でも、今までのパターンが通用しないこともあり、他の生徒よりもずっと文字数が少ないなど、白い目で見られていたようだった。

勉強、頭は働かず、テストでもとんちんかんなことを書いていた。

今までの学校ではありえなかったけれど、クラスの生徒たちに囲まれたなかで採点していたので、おバカなことを書いてしまったら、皆に知れ渡っていた。

 

その冬、叔母からもらった手袋が破れてしまい、母に見つからないように隠すことに多大なエネルギーを使っていた。

家族の小旅行にも参加せず、こそこそと過ごした。

担任に繕ってもらえないか、と頼んだけれど、あっさり却下され、以後、なるべくその先生に近寄らないようにして過ごした。

 

極度の気分屋で暴君的、陰湿な罪悪感をもたせるものいいが得意だった母は、自分に気易く日常の学校で起こることなどの話をしない、と言って怒りだす。

あるとき、誰かの家でジュースを作った、と言ったところ、「今、そんなこと言わなくてもいいでしょう!!」と、激怒する。毒舌は般若の面と化した形相とセットで、自分は何かとんでもなく機嫌を損ねさせてしまうことをしたか言ったかしたらしい、と思い知らされることになる。

映画館のなかで頭痛を起こした時も、とりあえず訴えてみたが、不愉快そうなうっとおしい表情をされただけだった。自分の楽しみを奪う者には容赦はしない、という表情だ。実際、病気だから、と優しい言葉などをかけてもらった記憶はない。

 

卒業前の作文で、将来の夢、というテーマだったけれど、そこに「猫を飼って、平和に暮らしたい」という内容で書いたところ、母からまた烈火のごとく延々と猛烈な叱責を受けた。

夢がないのか? 隣の○○ちゃんは、国際的ピアニストになりたい、と書いているというのに。

そのうち涙を流して責め続ける。こうなると長い。手がつけられない。

なにも言えず、嵐が通り過ぎるのを待つしかなかった。いつか、大人になったらこの家を出て平和に暮らせる日がくるはずだ。

 

小学校卒業式、遂に校歌は覚えられず、母はせっせとスナップ写真を撮影していた。 

そして、その小学校に隣接している中学へ入学。

 

 

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