ハミングしながら歩こう

成人発達障害、睡眠障害、愛着障害、複雑性PTSD、低血糖症――「生きづらさ」をゆるくいたわりながら、ゆっくり歩く。どうせなら歌いながら。

成育歴6(小学校4-5年)

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これは私の個人的な成育記録です。

いまなら、書けるかもしれない、というところでの、自分の障害や特徴などをふりかえるものです。

成人発達障害愛着障害複雑性PTSDなどにご興味のある方は、ある一人の人間の症例としてなにかのご参考になるかもしれません。時代ごとに項目を分けていきます。

読むことでフラッシュバックが起こる可能性のある方は、読まないでいただくようお願いします。

 

 

4年生の担任は若い大学出たての新米の美術系青年。

九州の田舎?から出てきたばかりで、こいつならあなどれる、とばかりに一気に躁転した。

若い教師にまとわりつく悪がきと化した。勝手にあだ名を作り、ちびまる子ちゃん風?に(時代設定のみ同じ)彼を主人公に設定した、へんちくりんな漫画を作るなどしてまとわりついた。

人間、特に子供は?、自分より上か下か、強いか弱いか、おちょくれる対象か尊敬対象か、動物の本能でかぎわける。

のちに彼は、九州の地元に帰ったそうだけれど、素朴な田舎の子供達と接したくなったらしい。当時の同級生と共に、彼には気の毒な事をしてしまった、と言いあったものだった・・・。

その時期以前から、同じ社宅、同じクラス、同じ英語教室に通う、小柄で可愛らしい、とても大人受けする子から忌み嫌われ、陰湿な対応がつづいていた。異常なほど目の敵にされていた。溝のある高い所から突き落とされたことがある。

(たいへん偶然にも、彼女の母親は、私の母と女学校時代の同級生だった。本州最西端港町とは遥かに離れた地域での再会らしい。その子の母親も、私の母同様によく出来た優等生だったそうだ。

とても綺麗な優しいおばさんだったけれど、もしかしたら、私の母同様にとてつもなくストレスをため込んで家庭内では別の顔をもっていたのかもしれない。)

クラスのなかで問題として浮上し、私とその子が立って質疑応答のようになったと思う。具体的なことは忘れたけれど、私に「がんばれ!泣くな!」と声をかけてくれた男の子が一人いた。

普段かかわることはないのに、味方になってくれる同級生がいたとは驚いた。

 

多分、この年の途中から長期にわたり、学校の給食室が閉鎖されお弁当になってしまった。

母は家事全般苦手だけれど、料理、特にお弁当というものが本気でわからなかったと思う。

夜、夕飯の残りをお弁当箱に詰め、冷蔵庫に入れる。

レンジもない時代、冷え冷えで持って行く。質・量ともに極めて貧相なものだった。

まともに開けると男子生徒達にからかわれるため、ふたで隠しながら一人でこっそり口に入れる。

それも、よく傷んだ豆などが入っていたので、匂ってから口に入れる習慣になった。

その頃飼っていた?(観察用?)鈴虫かなにかのエサのような、しなびた生のキュウリがよく入っていた。

食事というより、エサ・・・。

開けるたびに、おまえなんかどうでもいい、と言われているように感じていたと思う。

何度かフラフラして保健室に行き、ビタミン不足のように言われていたような記憶もうっすらあるような。

でも、お弁当への改善要求はできなかった。

(その後、6年の一部の時期をのぞき、中学・高校とお弁当はつづいた。中学時代以降は、自分で作ろう、という意欲・発想もなかったので言えないけれど、小学生への昼食というと、せめて栄養がもっと欲しかった。)

 

何年生の時代、と限らないけれど、クラス内での座席決めや遠足でのグループなど、好きな者同士ということが多かった。

私とすぐに隣の席や同じメンバーとして選ばれるということはなく、ただウロウロしているうちに、誰かがどこかのグループが同情で入れてくれる。

そんなことはずっとつづいた。

遠足で、どこか広い緑のなか、皆がわーっと走り回るのを、一人離れた場所に座り、ぼんやり眺めていたことをよく覚えているけれど、何年生のいつ頃だったのかはわからない。

運動能力のなさが、決定的な不自由さを招いていた。

社宅内で大流行した竹馬も、時間をかけてなんとかある程度はこなせるようになった。

(大体当時の社宅暮らしは、金太郎飴のように、どの家でも同じ物があり、子供達は同じおけいこ事に通い、同じ遊びが流行っていた。)

けれど、その不器用さを、すぐ横でどんなに乗れたのが遅くかっこ悪いか面白がって聞こえるようになじる年下の子がいたりした。

それを聞くのは私でなくても不快に思った子もいたようで、やめなよ、とさとすような子もいた。

不器用ながらも、参加できる集団遊びにはみそっかすでもとりあえずは中にいた。

もしかしたら、父の関心を少しでも維持するためだったかもしれない。

運動がまったくダメ、ということで、見放されてもいた気がしていた。

(その後、勉強すらダメになり、本当に見捨てられてしまったようだった。)

ただ、ダンスは好きだった。スキップなどは得意。

学校の体育の半分がダンスだったら、状況はずいぶん違ったんだろう。

 

4年生の夏休みは、一人暮らしの叔母の家でずっと過ごし幸福だった。

自宅に帰って後、しばらくは涙しながら眠った。

 

5年生の担任になったおじさんの赤ペンを放課後盗んだことがある。

なぜそんなことをしたのか、理由は忘れてしまった。

 

当時、なんとなく身なりがボサっとした成績もちょっとよくない地味な女の子とも交流していた。

きっと、集団に溶け込めない同士だったからだと思う。

紙芝居自作自演などでは、それなりに活躍していた。

その制作の仲間に入れてほしい、と彼女が言ってきたけれど、あっさり断った。

センスが悪い、と思っていたので。残酷だった・・・。

集団が困難なぶん、自分勝手なジコチューへと進んでもいたと思う。

いじめっこ少女の誕生パーティーに呼ばれもした。

大勢のなかで、出された食事のなかのもので、「これ、あんまり好きじゃないんだ・・・」と、ぼそっと口にすると、横から いちばんつきあいの濃い同級生より「そんなこと言っていいと思ってんのかよ?」とシャープにかえされた。

小学校も高学年になり、普通の子は、社交辞令が身についているところ、バカ正直にものを言ってしまうアスペガールだったのかもしれない。

そういう口の悪いところで、母から、唇にお線香の火をつけられそうになったことがある。

あまりにも恐ろしくてよく覚えている。

「口が悪いから」と、顔の前に火がせまってくる。

普段、このお仕置きはもっぱら腕にされていた。もぐさなどなく、直火を腕にあてられる。

不思議と、熱いとも痛いとも感覚は感じられていなかった。身体を固めて我慢していれば、何も感じずにすんでいた。

でも、唇はさすがに怖すぎて大泣きした。

もしもじっと耐えていたら、きっと母は本気でつけたんだろうな、と思える。

 この、火を肌につける躾け、というものは、どこの家でもされているものだ、と30歳くらいまで本気で思っていた。皆、口に出さないだけで家のなかではそうされているのだ、と。

勿論、母は記憶にないと思う。

機嫌が良い時は良い母で、性格が悪いわけでもなく、本人完全に無自覚にヒステリー状態が長く続いていたのだと憶測。自己愛性人格障害の傾向もありそうだ。

(その後、青年期になって以降も、言葉の暴力はとどまるところを知らない。)

冬場の暖房は石油ストーブで、その上にやかんや鍋を置いてお湯を沸かす生活だった。

ある晩、父の晩酌用にとっくりを渡され熱燗を作るよう言われたけれど、意味がわからず確認もせず、とっくりのなかの日本酒をドボドボと鍋のお湯に注いでしまった。

また、例によって般若の面と化し「あんたのせいでどうなったか、嗅いでみなさい」と、鼻元に鍋をつきつけられた。今でも、日本酒、特に熱燗は苦手だ。

 

私の誕生会、というものも毎年開かれていた。

それは、いつもだんだんとなんだかしらけたムードになって、個々バラバラとなって、なんとなくフェイドアウトしてお開き、というしょぼいパターンだった。

学校で、地域の子供社会で、私の地位の低さは母も承知していた。周辺で年下の子達と一緒に居ることも多く、同級生と遊ぶようにうながすが、それがなかなか難しい。

何かの折には、得意セリフの「情けない」に「だから友達ができないのよ。」「いちばん情けないことなのよ。」「○○おばちゃんに言うからね」と、とどめを刺そうとする。母の上の姉に当たる叔母に私がいかにスクールカースト最低か、みじめな立場か知らせることが、最も私への恥ずかしめになることを熟知してのセリフだ。

(のちにこれらのセリフは「離れ小島に一人で生きてると思うな」というパターンへと転化した。)

 

いつの頃からか、通っていた教室とは別に、水曜の夜は、母が講師となり英語レッスンだった。せっせと英単語を覚えた。でも、文脈を覚えないと気にいってはもらえなかった。

子供部屋には、母の手描きの絵とオリジナル標語がいくつも貼られていた。「返事はハイ! と、元気よく」など。なかには、よく描けたムーミン親子の絵などがあった。

 

 

5年生の年、はじめに白文鳥、次に十姉妹が迷子鳥としてやってきた。十姉妹はファミリーを作り大家族となった。一家で鳥達に夢中になった。

 

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画像:ばーばら画